緑あふれる六甲山の歴史 1
コラム六甲山2017年2月22日
はじまりは低い丘でした。
約100万年前から、六甲山一帯に東西方向の強い圧力が加わることで変形、隆起した“山”が六甲山に、沈降した“谷”が大阪湾へと姿を変えました。
古代、六甲山系周辺にはほとんど人の手が入ることのない、うっそうとした原始林が広がっていました。
弥生時代に稲作農耕がはじまり、平地で荘園を中心とする集落が広がり、山麓の自然の照葉樹林が切り倒されるようになります。
六甲山はまた、古くから山岳修行の霊地で、大陸から伝来した仏教とも結びつき、山岳寺院が建てられていました。寺院や城砦の資材を供給していた六甲山麓は、中世にはたたびたび戦に巻き込まれます。
樹木の伐採や土地の改変、放火や石材の採取が繰り返されました。
近世になると、山麓の人々が山中の谷奥にため池を築き、牛の飼料の草や屋根に葺くカヤ、燃料の薪や土壁など、さまざまな生活の資材を求めて、六甲山地に入るようになります。
このような歴史の中で、六甲山は回復できないくらいに破壊されてしまいます。
神戸港が開港した頃には、「はげ山」といわれるほど荒廃していました。
自然あふれる六甲山を取り戻そうと、新たな取り組みがはじまったのは、明治時代のことでした。
参考
『六甲SABO』国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所
『六甲山楽しみ情報ボックス』兵庫県立六甲山自然保護センター
『六甲山歩』神戸市 市長室 広報部 広報課