梅雨なのに、「水」「無」「月」とは、いかに?
コラム2018年5月29日
6月は旧暦で「水無月(みなづき)」とされますが、梅雨に入る時期であり、水が無い月でもないのになぜ、と思われることありませんか。
由来は諸説あって、まずは、古来より日本人が大切にしてきた田んぼに、水を引く月であることから、「水無月」になったという説です。
文字だけ見ると、違和感を覚えますが、「水無月」の「無」は、実は「ない(=存在しない)」という意味ではありません。
古い日本語の「な」、現在の「~の」という意味を表します。
つまり、「水な月」は、現在の日本語で「水の月」。「水が無い月」ではないのです。
他にも、田植えをするときは、田んぼに水をはるので、「水張り月」といったことから「みなづき」になった説。
また、当時、大仕事の田植えをみんなで協力して終えたことから、「皆尽月」といったことから「みなづき」になった説。
さらに、できるだけ梅雨が短くなるように、という意味を込めて、「みなづき」になったという説もあります。
大地に潤いをもたらし、農作物を育んでくれる梅雨ですが、世界的な異常気象が続くなか、今年はどうなのか、少々、心配ではあります。