日本ミネラルウォーター事始め
ヨーロッパでは、地下水などの硬度が高過ぎて飲用しにくい地域が多く、味の良い水のある地域で瓶詰めし、飲料水として販売されました。これが、ミネラルウォーターの始まりです。
日本では、飲料用の水が引かれたのは江戸時代。江戸の武家や寺社、町方の生活を支えるために、現武蔵野市の井の頭池などを水源に、神田上水と玉川上水が設けられました。
港が開かれ、明治元年(1868)には、英国人ジョン・ノース氏とパートナーのレー氏が、横浜居留地でレモネードやミネラルトニックなどの炭酸飲料水の製造を開始。顧客は在留外国人や来航した艦船の人々で、ほとんどの日本人は飲用しなかったようです。
明治17年(1884)に兵庫県川西市で三ツ矢平野水が「天然炭酸水を含める東洋唯一の純良鑛泉なり」とラベルに銘記して瓶詰・販売した、という文献も残されています。
明治19年(1886)に神戸市の布引山麓で天然鉱泉の湧出が発見されます。
明治23年(1890)に西宮市生瀬でクリフォード・ウィルキンソン炭酸鑛泉水が、明治32年(1899)には布引鑛泉所がナチュラルミネラルウォーターの布引炭酸水を瓶詰・販売。
布引、有馬、宝塚、平野と続く、六甲山麓の花崗岩層から湧出する鑛泉水には、炭酸ガスを含んでいないものもあったようです。
昭和42年(1967)頃からウィスキーの水割りが一世を風靡。業務用ミネラルウォーターの消費が増え、各社が次々にミネラルウォーターを商品化。当時はガラス瓶入りが主流でした。
一般に浸透するようになったのは、昭和58年(1983)にカレー用のチェイサー水が発売。これが家庭用ミネラルウォーターの先駆けとなりました。
「マロッ」が製造販売を開始したのは2000年。
六甲山が育んだ天然水を皆様のもとへお届けしております。
参考:日本ミネラルウォーター協会ホームページ