六甲山をリクリエーションの場として利用したのは、1867年(慶応3年)12月の神戸開港とともにやって来た、外国人居留地住む欧米人たちでした。
グラバー商会の出張員として来神した、英国出身のA.H.グルーム氏が、1895年(明治28年)、三国池の湖畔に山荘を建てたことに始まるといわれます。
山上でゴルフ場の開設や登山活動などを行い、彼らと交流のあった日本人たちもやがてさまざまなレクリエーションを楽しむようになります。
グルーム氏は私費を投じて植林や登山道の整備を行い、兵庫県知事などに六甲山地の砂防や植林の必要を説いていたといわれています。
1902年(明治35年)から六甲山系では、頻繁に起こっていた土砂災害の防止と、土砂が流れ込む上水道の水源地を保全するために、大規模な砂防植林が始まります。
そのスタートと切ったのは、再度山(ふたたびさん)でした。
約90年の年月をかけて草木のない山から、四季おりおりに花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれる山に復元された六甲山系ですが、災害に強く、美しい森を維持するには、間伐や下草刈りなどの手入れの維持が必要です。
緑化の取り組みは今もなお、六甲山にかかわる多くの人々の手によって行われています。
参考
『六甲SABO』国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所
『六甲山楽しみ情報ボックス』兵庫県立六甲山自然保護センター
『六甲山歩』神戸市 市長室 広報部 広報課
はじまりは低い丘でした。
約100万年前から、六甲山一帯に東西方向の強い圧力が加わることで変形、隆起した“山”が六甲山に、沈降した“谷”が大阪湾へと姿を変えました。
古代、六甲山系周辺にはほとんど人の手が入ることのない、うっそうとした原始林が広がっていました。
弥生時代に稲作農耕がはじまり、平地で荘園を中心とする集落が広がり、山麓の自然の照葉樹林が切り倒されるようになります。
六甲山はまた、古くから山岳修行の霊地で、大陸から伝来した仏教とも結びつき、山岳寺院が建てられていました。寺院や城砦の資材を供給していた六甲山麓は、中世にはたたびたび戦に巻き込まれます。
樹木の伐採や土地の改変、放火や石材の採取が繰り返されました。
近世になると、山麓の人々が山中の谷奥にため池を築き、牛の飼料の草や屋根に葺くカヤ、燃料の薪や土壁など、さまざまな生活の資材を求めて、六甲山地に入るようになります。
このような歴史の中で、六甲山は回復できないくらいに破壊されてしまいます。
神戸港が開港した頃には、「はげ山」といわれるほど荒廃していました。
自然あふれる六甲山を取り戻そうと、新たな取り組みがはじまったのは、明治時代のことでした。
参考
『六甲SABO』国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所
『六甲山楽しみ情報ボックス』兵庫県立六甲山自然保護センター
『六甲山歩』神戸市 市長室 広報部 広報課
「雨水」 これは“あまみず”ですが、もう一つ、“うすい”と読む言葉をご存じですか
「立春」や「春分」と同様に、季節と暦をより合わせるのに用いられた中国の二十四節気(にじゅうしせっき)の一つ。
空から降る雪が雨へと変わり、積もった雪も溶けはじめる頃を指します。
また、春の訪れを告げる春一番(はるいちばん)が吹くのもこの頃です。
実際にはまだまだ雪深い土地も多いですが、昔から、農耕の準備を始める目安とされてきました。
地方によって、「雨水の日」にお雛さまを飾ると良縁に恵まれるという言い伝えが残されているところもあります。
今年の「雨水の日」は2月18日。
なお、お雛さまは桃の節句が終わったらすぐに、片付ける方がいいそうですよ。
唇がカサカサしたり、肌がつっぱる感じがする。
あるいは、喉の奥がいがらっぽくて、咳払いをしてしまう。
冬になると増えてくるトラブルは、空気の乾燥が原因です。
気温や湿度の低下といった季節に伴う変化に加えて、部屋の温度を上げるために暖房を入れることで湿度が低下し、身体から水分が逃げて乾燥しやすくなります。
毎日のスキンケアも大切ですが、自分を取り巻く空気に潤いをプラスすることも忘れずに。
ご自宅ならば、濡れたタオルや洗濯物を部屋に干すと、湿度を上げやすくなります。
寝る前に、ベッドなどの近くに干して、睡眠中の乾燥防止に。
暖房機がエアコンのみという方は、濡れたハンカチなどを風が出てくるところにかけると、
湿った空気が出てきます。時々、ハンカチが乾きすぎないように確認を。
オフィスなど公共の場では、コップやカップに入れた飲み物を手近に置くようにすると思いのほか効果的です。ぜひ、お試しください。